行為の積み重ね

 10月24日。
 日々内面と戦っていますが、まあそれはさておき今回はランニングの話です。
 まず、最近ランニングを始めて、これがそこそこ続いています。と言っても一週間程度ですが。長い事部屋での軽い有酸素運動踏み台昇降とかスクワットとか)を続けていた事で走る足腰の基礎がそこそこ戻っていたのかも知れません。それと、下記の「気づき」から始めたやり方が体に合っているのかも。
 そのやり方というのは「距離では無く時間で考える」「肺が苦しくないペースで走る」「嫌になったらいつでもやめて良い」「目標を作らない代わりに、最低限のノルマはその日の体調に応じて作る」と言った感じで、要するに「頑張らない」ランニングです。ランニングというのはどうしても「辛い事を頑張る」というニュアンスが生じがちなので、その要素を限りなく抜いてみようと試みたわけです。
 俺の近所で一周大体900mほどのコースがあり、それはどの場所で終了してもすぐに家に帰れるようになっています。そしてそれをとりあえず一周くらいは走ってみる。息が切れないペースで。足はもちろん疲れていきますが案外その疲労は脳には届かないようです。
 一周走って余裕だったらもう一周走ってみる。もちろん「嫌になったらやめる」というルールは忘れずに。距離ではなく「疲れるまでの時間」を考慮しているので、ただボケーっとしながら足を動かして体力がなくなるまでの時間を待っているような感じです。日に日に「疲れるまでの時間」は長くなっていって、先日は疲れてやめるまで35分かかりました。距離にすると5キロでした。
 意外と走れるじゃないか、という達成感はあります。ただ、そもそもランニングを始めたきっかけは「運動を続けよう!」というだけのものだったので、達成感というのも善し悪しな気がします。達成感はより高い目標につながり、それは結局「より高い目標に届かずに挫折」になるからです。俺は過去これで何度も何度もランニングをやめており、その度に数年のビハインドを作ってきました。もちろん今回も来るかも知れませんが、それはなるべく一日でも遅らせていきたいものです。
 今回の方法の優れた所は、最初から最後まで「苦しい」という体験が無いため、ランニングに対するネガティブな印象を次回に持ち越さない事です。
 思うのですが、案外世の皆さんはランニングに真面目に向き合い過ぎなのではないでしょうか。「苦しさを越えた所に気持ち良さがある!」とか「ダイエットの為に頑張る!」とか、ンな事考えなくても適切な運動をしているだけでそこそこの恩恵はある気がするのです。そして「適切な運動」に「辛さ」はつきものだと考えられていますが、ぶっちゃけ「辛さ」は限りなく軽減する事が可能です。ペースをただ落とすだけです。しんどいと思うのは単に貴方のペースが自分の出来る範囲よりも速すぎるだけだし、ちっとも前に進まないというのは「距離」を目標にしているからです。必要な運動量は距離ではなく、強度と時間で決まるのだから、距離なんてハナから考えなくても良いのではないかと思います。
 まあ、もちろんどんなにペースを落としても「走る」という行為そのものが苦痛な人は世の中に多数いると思いますが、幸いにして足腰を使うという行為は普段から俺は自転車やら部屋の運動やらでクリアしていたようです。そういう意味では適正があるのかも。そんな訳で、今日もこれからいっちょ体力を抜いてきます。