「自分」に合わせる。

 不器用って言葉はネガティブな単語が入るからあんまり使いたくないなあ。
 ピアノを弾く。「ピアノの弾き方」については毎回毎回新鮮な発見がある。最近は左手の各々の指の力の不均等さに気づいた。アルペジオで手首を返す度にテンポや強弱がデコボコになる。それを均等にするのは「バランスを取る力」であり、それは指ごとに違うパワーの出力を要求するという事だ。筋力は均等にはならない。ならば、出力を逆位相にしなければいけない。
 最近「一人で出来るもん」の派生としてコーヒーをハンドドリップで淹れるようになった。フィルターで豆を濾してコーヒーにする。一つ一つの行動が全て最終的なコーヒーの味に影響する。ふとした事でそこらへんの手抜きカフェとは段違いな味が出たりして、そんな時はかなりテンションが上がる。
 珈琲を淹れても俺には料理は出来ない。
 ピアノは決められた数曲ばかりで、新しい曲は覚えようとしない。
 もちろんやろうと思えば出来るだろう。でも、俺が自分の力を存分に発揮できるのって、多様性というよりかはシングルタスクで、それも「テンション」によってすぐにチャンネルが変わってしまう。「長持ちしないシングルタスクのチャンネルを沢山持ち、気分により切り替える」という感じで、それはやっぱり不器用な性分という事になるだろうか。
 それでも「不器用」という言葉はネガティブだ。仕事に焦点を合わせるなら「不器用」なのだろうけど、仕事以外の時間に於いてはそれは単なる「性分」であり「癖」という事で良いのではないか。それは、「直すべきもの」では無くて「性分に合わせれば快適に生きられる」のではないだろうか。
 最近、ようやっとその使い方の端がわかってきた気がする。基本的に足は遅いけど、悪いばかりでも無い。色んなチャンネルは、時に互いに影響し合って、「俺なりの」多様性がそこで生まれてくれる。
 効率は悪くても、それはそれで良いんだ。