友達に会いに行きました

 GWは旅行にいかない代わりに、毎日を決めた時間に起きる事に決めた。今のところ、それは良い形で回っているように思える。
 昨日太郎の墓に行った。先月の太郎の家での集まりは行かなかったのに、何故一人で…という感じだが、とにかく行きたかったんよ、太郎の所に。で、それを「みんな」で薄めたり誤魔化したりしたくなかった。ホントは哲も誘おうかなとも思ったんだけど、ちょっとその後に所用があったから、まあ、誘うのはまた今度で良いやと。思いついて30分で家を出て、1時間半後には墓地に辿り着いていた。恐ろしく暑かった。他に一人墓参りしてる人はいたけど、すぐに居なくなってしまった。雲一つない晴天で、じりじりと日光が肌を焦がしていた。
 着いた途端、俺は泣いた。
 何で泣いたのかは、自分でもよくわからなかった。
 墓ってのは否応ない「説得力」がある。そこに友達の名前があって、それは墓標という形をとっている。そこに行く事で「会ってない」という曖昧なイメージを「死」という具体的な形に強制的に訂正された気がした。俺は泣いたけど、それは何というか、必要な号泣だった。自分の奥底になんとなく誤魔化して詰め込んでいたものを、正しい形で引っ張り出す事が出来たのだ。衝動は数分くらいで納まり、涙は拭いたら止まった。
 墓。
 太郎と嫁の親族(いわゆる見える人らしい)が言っていた「彼は居なくなってしまった」という言葉を俺は鵜呑みにしていたので、墓に行く事で太郎(の霊的なもの)に会えるという気はそんなに無かった。そこは純粋に「死という出来事」を象徴する場所だった。俺は今回の事が起こるまで、墓の象徴的な役割なんて考えもしなかった。
 俺は彼がここに居ないと意識しつつも、気が付いたら手を合わせて、随分長い事彼のために祈った。それから、ぽつぽつと、墓に向かって話しかけた。
 不思議なもんで、自分の現在の愚痴を言う気はあまり起こらなかった。俺の事、彼の嫁の事に対しては「心配すんなよ」という言葉で結論付けた。もちろん、俺も彼女も苦労するだろう。彼の死はそんな軽いもんじゃない。それから、彼の存在が消えた事で、世界には穴が開いて、ひずみが生まれてしまうだろう。でも、そんなの彼は考えなくても良い問題なのだ。もし死に「次」があるなら、彼はもう「次」に行ってしまっているだろうから。もしくは「まだ居る」としても、具体的になんか頑張る必要なんてないのだ。とか思いつつ、それでも俺は欲深いので「加護だけくれ」と曖昧な要求だけして、墓地を後にした。
 大体1時間くらいの滞在だった。ぶっちゃけ鬼のように暑かったので、それ以上そこにいるのがしんどかった。「墓参りって現実的に辛いもんだな」とも思った。GWでこの暑さなら、戻ってくると言われる彼岸なんてどんなに暑いんだろうね。周りが石ばかりだし、日蔭も無いし。クソ暑いんだから曇りの日だけ還ってくれば良いよ、と俺は思った。
 あるいは別に還らなくてもいいよ、とも。
 彼が今、余計な事など気にせず、どこかで自由になってくれていたら、それが何よりだなと思うのだ。