持ち物としての「技」

 今日はすげー久々に人前でピアノを弾く。
 と言ってもライブ形式ではなく、食事会の場にピアノがあったんで皆が談笑する横で即興とジャズとクラシックを混ぜたのを1時間半くらい。しかし楽しかった。
 思うに、俺が楽ーに弾ける形式はライブではなく、こういう感じのように思う。人がずっと集中している場で弾く時、俺は「相手に届く形」のパフォーマンスの高いものを弾こうとする。すると、結局の所(客次第だが)完全に即興で弾くよりもクォリティのある程度保証出来る楽曲形式のものが好ましい。しかし、それには時間がかかるし、何よりも俺が望む形の「楽曲」はこの歳になってもイメージが出来ていないのだ。不定形な形での演奏には何よりも自信があるが、楽曲形式でレベルの高いものは弾けないし、自分の大切なものをスポイルしてしまっている気がする。特にピアノトリオに於いては。(もちろん、今までの経験でそう思ってるだけで、奇跡のようなメンバーに恵まれれば違う感想を持てるのかも知れない)
 今日のは、完全に遊びだ。客の受け入れやすい形に「納めて」はいるものの、それ以外では実に適当に弾かせていただいた。深みに潜る演奏ではなく、単純に綺麗な旋律、楽しい音楽を提供出来たように思う。自分も楽しく弾けたし、なかなかに評判が良かった。最近はピアノを弾くモチベーションがかなり落ちてしまっていたが、このような機会がまた来るのならその準備をしていても良いなと思った。
 まあ、まだそこそこ弾けるらしいよ俺は。最近はピアノの自信についてすっかり忘れていたけれど、俺の中には芸になるレベルでの引き出しがいくつかあるらしい。昔は自分を天才と思っていた。今は、まあ、普通。でも、かろうじて残していたものはまだ価値を放ってるみたいだ。そのうちまた「使える」機会が起こるかも知れないから、まだもうちょい頑張ってみようかな。