4日目

 ちょっと落ち着いてきた?かな?
 今日は日曜日。昨日は太郎の家に行って、本人と会ってきた。一回会っておきたかったのだ。それまで俺はメールというバーチャルなシステムでしか彼の死を認識できなかったし、想像は想像を呼び、どこまでも恐ろしいものに膨らんでいきそうだった。その前に、一回現実を確かめたかったのだ。一人で行くのも悪いかなと思って友達を誘って行った。
 太郎は太郎だった。もちろん、亡くなってるけど。目の錯覚で寝息で体が動いているように見えた。錯覚だ。でも、想像よりもきれいな状態だったし(エンバーミングというらしい)普通に眠っているように見えた。家に入った瞬間に線香の香りが漂ってきて、「ああ」と思った。この香りは、知っているものだ。
 俺は、彼の姿を見て「安心」した。
 合間合間に涙が噴出したが、それは「動揺」によるものでは無かったと思う。太郎はそこに居た。俺は彼の顔をずーーーーっと見ていたかったし、一緒にいる事で落ち着いた。俺は今までも、太郎と一緒にいる事で安心していたのだ。だから、やっぱり会う事で俺は何かが一段落したんだと思う。まあ、勿論精神的ショックで体に異常は出ているが。
 本当はね、ジャズ研とか関係無いんだ。俺は彼を偲ぶ「その他大勢」になりたくないと思った。物凄く個人的な、エゴ丸出しの、ワガママだ。あいつは「集団(仲間・友達)の中の一人」では無かった。俺にとっては「彼というかけがえのない個人」が、大切な存在だった。だから、俺は彼にはどうしても心の中でも、優先して、メッセージを送りたかった。だから手紙を書いた。ついでに嫁にも手紙を書いた。行く人に向けて、そして、これからも生きていかなければいけない人にも向けて。太郎向けの奴は一緒に燃やしてもらう予定だ。んで、一緒にもっていってもらうのだ。
 人生ってのは得て、喪うものだよな。
 でも、残るものはある。人間というのは、「影響」を受ける事によって自分の体を変化させていくものなのだ。だから、彼の残響は俺の体を変化させて、それは俺の血肉となっていくのだろう。それは、死んだものがいずれ大地と一緒になって、次の生命を形作っていくように。俺の中に彼は確かにいる。「死は、生に含まれている」。俺はあいつと話したくっだらない事、下世話な事、ゲラゲラと笑った大きな笑い声を背負って、これからも生きていくんだ。