打ちひしがれた毎日とちょっとした出来事と
今年は仕事で自分の自信(元々無いが)を打ち砕く事ばかり起こっていて、無力感に苛まれていた。というか現在絶賛継続中だ。この土日も土曜はひたすら寝ていて、今日は動かない体を無理やり動かして美容院に行った。
そこで小さな事が起こった。長年お世話になっている美容師さんと今日は特に会話が噛み合って、その会話を聞いている第三者にかなりウケた。その時は何とも思わなかったが、その後カフェでコーヒーを飲みながら、少しずつ自分に自信というか達成感が広がっていくのを感じた。
このブログを読んでいる人(一月に2人くらい?)がどういう人なのか今はもうわかるようでわかっていない。俺が追い出された古巣にいた人なのか、それともその前からの知り合いなのか、それとも完全に知らない人なのか。でも、実は俺は即興ピアノをやる前にこだわっていた事は「会話」だった。1対1の会話をどれだけ軽妙に、面白く出来るか。10代の頃はそんな事ばかり考えていた。
その「会話」は「間を読む事」に繋がり、それはピアノにも文章にも派生するようになった。下世話な事を言えばセックスもその派生の一つだった。それで何でも出来るように感じて、そのまま調子に乗り、その後就職して何も出来ないように感じるようになった。その間色々な事があった。良い事もあったが、悪い事も沢山あった。
今日は本当に小さな出来事だったが、その「原点」にスポットライトを当てられたような気がした。
人と話す時、どういう行為をすれば「自分と相手」が「面白い空間」になるか。相手の口調のテンポはどのくらいか、どういう癖を持っているか。どこで押して、どこで引くか。別に口説きたいとか好かれたいという訳ではない(無くは無いけど)。そうじゃなくて、如何に目の前の人を巻き込んで「素敵な共同作業の空間を作成できるか」。昔、俺はその事に没頭していたし、実際にそれでそこそこの場所には到達出来ていたと思う。何よりも、とても楽しかった。
俺もこんな自信(エゴ)が残ってたんだと思った。
今の仕事は多種類の小さな仕事をチョコチョコとこなし、一日に何度も何度も横やりが入り、同僚は不穏な空気をにじませ、上司からは辛いと思うスピードで仕事と判断を要求されている。その上、今週は自分の美学に反する事を行わなければならず、多大な不満と落胆、緊張、不安に囲まれて仕事をしなければならなかった。これが「仕事」だと言うのなら、俺に合う仕事は無いんじゃないかなんて思う事も度々あるし、それは明日かも知れない。積み上げられた未着手の書類に爆弾が入ってないかどうか想像するだけでも胃が痛くなる。
自分はピアノがあった。しかしそれは最近練習が怠りがちになっていてとても自分のエゴを満足させるものではなくなっているし、それが開花する場所も今は無い。(ジャズは上手くなればなる程自分の好みではなくなってしまう)興味が薄れてくる。危機感を感じる。
でも、もしかしたら自分はピアノだけでは無かったのかも知れない。その根っこに、まだ自分の特技があったのかも知れない。好きな事があったのかも知れない。それが自分の中に残っていれば、また新しく幹は伸びていってくれるかも知れない。
そんな風に思った12月21日だった。
ぶっちゃけ来年には今の仕事を辞めようと思っている。次を考えようと思っている。その時に、今日感じた事がヒントとなって、次をもう少し自分の満足がいく形に出来たらなと、今日は少しだけ前向きに考える事が出来た。