ダンスダンス


 酒飲んで帰ってきたらとても文章を書きたくなった。

 と言っても、今まで書きたくなかった訳じゃない。最近はバタバタと忙しかったのと、自分の使ってるPCが日本語で入力できなくなっていて、こういう日記を書く余裕がどうしても生まれなかった。代わりにヨガをやったり瞑想をしたり、独り言を呟いたりピアノを弾いたりした。あと本も読んだ。村上春樹

 今日は職場の歓迎会だった。とても賑やかな、明るい飲み会で、こういう所に何の躊躇もなく染まれたらどんなに幸せだろうと思う。でも、同時に自分はそれを拒絶している。何で拒絶してるのかって言ったら過去の経験が突き動かすのだ。孤高を貫けって言ってる。過去の俺の「願望」が、今の俺を縛っている。俺はそろそろ落ち着いても良いはずなのにね。

 落ち着くと言っても所詮は仮初めの職場だし、今はまだ全然想像もいかないけどもう少ししたらここを去らなくてはいけない。残念とか哀しいとか以前に、想像がいかない。反面、ここで一般的な定年まで迎えられるか?と言えば謎としか言いようが無い。今俺が楽しく仕事を出来ているのはまだ若いからだ。肉体と精神の老いは、いずれ今の生き方を許容してくれなくなる。30代になってから、自分のステージが勝手に移動してしまっているのをよく感じる。それが嫌だからよく寝たりヨガをしたり瞑想をしたりするのだ。

 そもそも「落ち着く」って何じゃいと。俺は恐らく一度も落ち着けた事が無い。いや、あるかも知れない。中3の時とか、大学のどっかの瞬間とか。でもそれが続いてくれた事は無いなあ。幸いにして今はわずかであっても友人はいて、それが「居場所」と言えばそうかなあとも思う。普段は一人だけれども。場所と言っても、ホイッスルを吹いて集合しなければ確立出来ないような淡い、幻想的な概念だ。

 職場に新しい子が来た。可愛い子だ。少し話をしたらテンションが上がった。でも何で上がるんだろうと思ったらこれは「新しく」て「可愛い」からだ。そこに呪術的な「運命」と呼ばれるものは無かった。そういうものは自分で後付けで作り出すものだったりする。そういう事を「理解」した。だから俺は改めて誰でも良いはずで、それを成立するには資格を得る自分になる事と、受け入れる自分を作り出す事。その二つがあれば恐らく俺はもうちょい幸せになれる。まだ、それを行うには過去の願望の声が大きすぎる。

 たぶん俺は職場の中でも学生にモテる方で、それは職場の中で俺が一番親切に、丁寧に接してるからだ。既にそれは俺の儀式の一つとなっている。本当は俺は全く優しくない。相手と一緒に崖を転がり落ちる事なんて出来ない。でも、そんな俺でも相手に「礼を尽くす」事は出来て、優しくない人間が優しくなるってのはこれしか無いんじゃないかななんて思ったりもする。目的があってそうする訳じゃない。目的があればそれはすぐにくだらないものになって、相手ばかりか自分までも苛んでしまう。俺は「行為」を行ってるだけだ。儀礼的に、「礼を尽くす」行為をする事によって可能性を蒔いている。俺は経験的に、それが自分を豊かにしてくれる事を知っている。

 だから今日の飲み会だろうが仕事だろうが、本当の友達以外のプライベートだろうが礼は尽くす。俺のコミュニケーションは、相手を楽にさせる為に存在している。たまーにバランスを取って、一人で何もせず、ただ布団にくるまっていたくなる。

 さて寝る。