パーティが終わった


 いつもブログでタイトルを書くのは後回しなんだが、今回はもう明確にタイトルが決まっていたので先に書く。パーティが終わった。だから俺もブログに書くことが出来る。
 パーティってのは隠喩ではなく、そのままの意味だ。とある学生主催のイベントが学内であり、俺はそのサポートの仕事をしていた。それが終わった。付随していた「色々なもの」が一段落した気がする。
 ある日、俺はクリスマスについてこう思った事がある。「クリスマスってのは12/25に『始まる』んじゃない。12/25に『終わる』んだ」俺の感覚ではクリスマスは11月くらいから既に始まっていて、その雰囲気にさまざまな人がロマンを感じたり、浮かれたり、はたまた疎外感を感じたり、無意味な逆恨みを感じたりする。それはずーーっと続いている。俺がサポートしたイベントもその一部だ。学生達はパーティの準備にてんやわんやで、11月なんて毎週末に21時過ぎまで頑張っていた。俺も11月だけは残業代が跳ね上がった。
 さて、パーティは当日だけのものだろうか。そうは思わない。俺の中ではパーティは10月半ばの、委員長を務めた子が事務室に「草さーーん!!」と泣きついてきた所から始まる。とてもアグレッシブな子で、頑張り屋だった。彼女はたぶん自分が思ってる以上にパワーのある子で、どんどん周囲を巻き込んで、気づいたらパーティ委員会はビックリするくらい有能な集団で構成されてしまった。「実行委員」というクソめんどくさそうな役割に数十人集まるってのは、怠惰な学生だった俺からしたら本当に信じられない事で、今でもその実行委員の子たちを深く尊敬している。彼らはみんな、有能な社会人になるだろう。
 俺は、その背後で事務手続きをしたりしたり顔でアドバイスをしたりする役割を負ったわけだ。んでそれが終わった。彼らには次の日々が始まり、俺も次の日々が始まる。
 寂寥感や未練は置いといて、俺は「役割」をちゃんとまっとう出来ただろうか?自分の欲にかられず、キチンと彼らに適切な距離と仕事を与えられただろうか。俺は放っておくとどんどん馴れ馴れしくなってしまう人間で、今回はちょっと近づきすぎたかなと思う面もある。かと言って事務に徹して完全に断絶するというのは好きじゃない。事務室の扉は、心理的に重くしてはいけないと俺は考えている。
 結局、俺は学生が好きだし、サービスする事も好きだ。でもそれは「仕事」であり、「責務」だ。そのバランスだけは常に考えておかなければならない、と思っている。
 クリスマスは12/25に「終わる」。俺と彼らの付き合いも来月になったら大体終わって、その後は「次」が始まるだろう。生活は日々が連続して成り立つものだ。その中で、歯車はゆるやかに次のステージへと動き続ける。