立ち位置


 土曜は午前中出勤して終わった後まっすぐ家に帰ったら16時。それから何もせず、まあ近所の盆踊りくらいは行って、それからお話をして寝て日曜日。寝て起きて寝て、夕方になってようやく髪を切りに行く決心がついた。
 いつも切ってもらってる美容師のIさんは寡黙で確実に仕事をするのが魅力的だったのだが、何かの折から物凄く喋る人になってしまった。気を遣って疲れた。ただ、Iさんとのおしゃべりは今考えると今日の思考のヒントに凄くなった気がする。冷え性のお話から脂肪は実は冷えてそれが血行を悪くしてそれがセルライトを作って更にそれが脂肪を作っての悪循環になり云々。はっきりとは言わないが30代の人っぽい。案外同年代なのかも知れない。
 その後本屋に行ったら弟子が大好きなアラサーちゃん先生の「邪道モテ」が置いてあって、読んでみたら凄く面白いというか更なるヒントをもらえた。アラサーちゃん先生は斜に構えすぎて自分の足食ってるタコみたいな感じになっているが、とにかくその分析力は大したものだ。中に一つフレーズがあった。こんな感じだ。「26〜7歳は若年界の長老で、29〜30は熟年界の新人になる」
 まさに俺だし俺の周りだった。
 考えてみればIさんもそこらへんだ。「熟年界」というのは物凄く腑に落ちる。何というか、言っちゃアレなんだけど「若い者」とは決定的に違うものが俺の周りにはある。何だろうなと考えてみたのだが、それは「おがくず」が頭に詰まってるか否かでは無いだろうか。若年界の方々には、脳におがくずが詰まってない。そのおがくずってのは、今まで生きてきた人生経験だったり、成功体験だったり失敗経験だったり、ある程度の世の中の観察であったり、社会経験だったり、とにかく色んなものが若年界の後半辺りから自分に積み重なってくる。それがある線を越え、ちょうど肉体の成熟度合いと重なった段階で若年界は終わって熟年界に入ってくるのではないかと思う。
 俺はずーっと若年界にいて、確かに26辺りから「息苦しさ」みたいなのはよく感じていた。もう縁が無い場所なのだが、母校にいても「端っこ感」を常に感じていた。別に阻害されるのは良い。そうじゃなくて、変に持ち上げられ、気を遣われ、勝手に「偉い人」にされている。勿論俺のピアノがそこそこというのもあると思うが、そこにずーっと居る事で地位が確立して、居場所が出来て、その「役割」を求められてるような、そんな感じがたまらなく苦痛だった。今思うとそりゃ生きてるステージが全く違うんだから当たり前の話なのだが、26〜8というのはホント微妙な年頃で、その境界がはっきり見えない。俺は追い出されてある意味良かったと思ってるのだが、あそこらへんで今も重鎮にいる(もしくはされている)連中はそういう息苦しさは覚えないのだろうか、と思う。
 で、おがくずだ。それは別におがくずでも何でもなく、恐らく生きるための基礎力として必要不可欠なものなのだが、困ったことにこれを持ち得ると色々な事が柔軟に行えなくなってしまう。アラサー辺りから恋愛が異常に困難になってくるのはそういう所にあるのでは無いかと思う。俺はぶっちゃけ「社会人」の方々と全く話が合わない方なのだが、とにかく社会人の方々は考えがどっしりしている。瞬発力が無い。今までの自分の生き方が作った思考に従って動いたり話をしたりする。その「生き方」というのは、現在は大体が連続した社会生活が培ってるものだ。または、今までの上手くいったり失敗したり学んだ異性関係から来るものだ。とにかく重い。皆が体中に重しをつけて、生きているみたいに感じる。
 で、俺はどうなんだと言われるともう日々それは物凄く実感していて、それが嫌でたまらない訳だ。反面、自分は「社会人」としては最底辺に近いくらい駄目な人間なので、何とか社会人としての経験を積み重ねて成長していきたい。今日ふと気づいたのだが自分には「生活力」が無い。稼いで飯を食う、という事は余りにもそれまでの自分には縁が遠すぎて(物欲も無かったから準備段階も無かった)仕事をしている今の毎日もまるで実感が無い、という体たらくである。しかし31。若年界で遊びすぎて準備ゼロの状態で熟年界に入ってしまった。お陰様で、今は同年代の友人がこれまで以上に出来る気がしない。かと言って若年界の方々はおがくずが無さ過ぎて、いちいち気を遣わなきゃいけない。仲良くなれるのは同じような社会から半ドロップアウトしたような人ばっかりになってしまうのだ。
 まあ、元々脳がお花畑にいる人たちくらいしか話が合わなかったので、そこらへんは別に変化は無いっちゃ無いのだが。
 で、その「若年界」「熟年界」というフレーズを手に入れて、やっぱり色々思うことがある訳よ。例えば恋愛するならば「おがくず」は無い方が良い。絶対に、良い。人間はそれまでの人生経験の色眼鏡を通して見るものでは無くて、見たまんまの感性から印象を受ける方が良い。これが年々難しくなる。特に、今まで「色々あった」人には。そもそも元来熟年界に於いては結婚してる方が自然で、俺みたいな歳で未だにふらついてる方が「元来は」問題であったと思う。サザエさんは24歳。しかし今は社会が成熟しすぎてそうも言えなくなってきた。
 恋愛って「瞬発」的なもので、熟年界にいる人たちだって勿論それを求めてる。でも、熟年界の人たちはその瞬発力を生きる過程で覆ってしまった人たちばかりなのだ。ボルトが甲冑着てたらさすがに走れはしまいが、それをしているのが俺。と、俺の周りの人たち。飛び上がるような恋がしたいのならまずは自分の着ているクソ重い甲冑を脱ぎ捨てなければいけないのだが、その甲冑は既に血肉になっている訳で、引き剥がすのは容易では無い。というか、引き剥がすという発想すら無い。(世の中のアラサーさん達はモテる為に女子力を上げたり合コンをしたりしていらっしゃって、それはぶっちゃけ手遅れになるトドメを自分で刺してる行為に他ならない)(アラサーちゃんやら犬山さん達は日々自分にトドメを刺している訳で、あれはあれで飯の種になるから正しいのだろうけど、真似したら同じ業を背負うからやめといた方が無難)
 という訳で、実は俺はおっさんになってた。ただ、上手い具合におがくずを捨てたり積んだりを選択できるおっさんになりたいし、ならんと先進めんなと思った今日のお話。