トレード


 改めて、今年の夏は何かに踊らされていた夏で、まあ今だって踊らされている。何かに浮かれたような、流されてるような、自分でやってるはずなのに自分の意思で無いような、そんな毎日を過ごして今やっと落ち着いた一日、ちょっとの時間を手に入れる事が出来た。つまりまあ、何もしてないって事だ。今日は。久しぶりに。
 俺は文章をテーマ立ててちゃんとまとめあげるのが「頑張れる時」以外は無理なので、思いついた事から書いていこう。
 今さっき久々に親父の伴奏をやったが、クラシックの伴奏ピアノはやる前は非常に(途轍もなく)面倒臭いが、やるととても勉強になる。というか自分の腕の無さにビックリした。ここででかい音出るかよ!とか、指のバランスどないなっとんじゃ!とか、そんなのが多数だ。左手でピアニシモ出そうとしたらフォルテシモが出た時は、さすがに俺は何年ピアノ弾いてんだと頭を抱えそうになった。
 でも、別に何年続いてたかなんて関係ない。特に今は「向上するために」ピアノをそんなに弾いていないので、同じ事をやってたら少しずつ、劣化していく。毎日ってのは怖いもので、続けるのにひいひい言ってるとそのせいで昔せっかく磨いた「直接必要では無いんだけど回りまわって大切なもの」が徐々にさび付いてしまう。感性とか、思想とか、思考とか、そういうものだってそうだ。
 俺は今30歳で、毎日仕事を「ちゃんと」こなしていくのが大変で、んで合間に女の子にメールしたり後輩に良い顔しようとしたり弟子の最後のまとめをお手伝いしようとしてたりする。さて、これは俺の本質に重要だろうか?仕事は重要だ。俺の周りの人たちに接するのも重要な事だ。でも、そういう風に今に流されていっても、自分を見つめなおして「棚卸」するのは忙しさにかまけてサボってよいものでは無い気がする。「気」だ。実際はサボっても良いのかも知れない。自分の殻に閉じこもるよりも一生懸命、一心不乱に生きていた方が良いのかも知れない。ただ、毎日は確実に俺を劣化させていくし、時は容赦なく過ぎていく。今日通用するものが明日通用するとは限らない。でも、毎日は続いていく。続ける事だって大変だし意義のある事だ。
 難しい事だが、「毎日」と「自分の道」を両立させられないものかと思う。
 続ける事に意味があって、でも続ける事で劣化する事もある。その劣化は仕方の無いものなのか、その犠牲を引き換えにして、俺は何を手に入れられるのか、それは能動的に行かなければ駄目なのか、それとも受動で「迫ってくる」ものなのか。30にもなると「失うもの」が徐々に輪郭を帯びてくる。単に奪われるだけでは無くて、願わくば「トレード」にまで持っていきたい所だ。ゴミみたいな堆積物は、別に欲しくない。
 そういえば今日久々に部屋を掃除したらかなりスッキリした。勝手に積み重なるものってのは、この部屋の埃のようなものなのだろうか。それよりはもうちょっと良いものなのだろうか。ゴミにしない為にはいい歳こいても考えなければ。自然体で生きるには俺はまだ未熟すぎるし、何もわかっちゃいない。