色々


 珍しく同僚に飯誘われたのでホイホイついてって色々と話をした。面白かったんだが、別学部にいる駄目職員の話を聞いて自分もあんま笑ってられん立場だよなと思ったりする。今の自分は明らかに出来の良い職員では無いだろうなと。その代わりに俺は他の人よりも明らかに窓口に出まくってたりするが、そこで埋め合わせは出来ているのだろうか。良くわからない。でも窓口で学生と学校システムとの潤滑油になる事は必要な事だとも思う。学校にいる主役は教師であり、生徒だ。俺らはその間の歯車であり、キチンと彼らをサポートしていかなければならない。どうも学生に対しては職員という人種は冷たく出てしまいがちになるが、俺くらいは優しくしたって良いだろう。忌み嫌われるよりは心を開いてくれた方がこっちもやりやすい。レポート遅れは即アウトにするけど。
 宮崎あおいの旦那程度にしか認識の無かった高岡さんが大いに吼えて崩壊してしまったけど、これって色々と考えるキッカケになった。いや別にフジテレビが最近ゴミな事くらいは認識してるし、そもそもテレビは全く見てない。ただ、思うんだよ。彼の言った事は「韓流だからこそアウトだったのか」、それとも「スポンサーを公然と批判したからアウトだったのか」。例えば高岡さんが電通や東電を批判したら同じ事になったのか。韓流だからこそタブーに触れてしまったのか。公然と言ってしまったから駄目なのか。話題になってしまったから駄目なのか。等。
 で、韓流のゴリ押しは当然辟易してる訳だけど、例えば昔俺はアメリカの映画やドラマは良く見ていた。それは今感じてるのと同じような「文化侵略」に相当してはいなかったか。舶来コンプレックスを感じる程隷属していやしなかったか。
 またはコンテンツの問題もある。そもそも、韓流がもてはやされる背景の一つとして自前のコンテンツが衰退していった、従来のスポンサーが弱っていった等があるだろう。最近はパチンコのCMが本当に増えた。んでパチンコ業界が韓国寄りならば、スポンサーの意向という事で韓流がもてはやされるのは当然の流れでは無いのか。それに対抗するような資本が無いのが根本的な問題では無いか。
 まあ、何にせよ、これからテレビは嫌でも衰退するだろうし、それでもテレビは存在し続ける。その代わり、力の失ったテレビは特定の広告塔を強いられていくのだろう。そしてそれでもメディアとして莫大な影響力を誇ったテレビは未だに見続ける判断力の薄い人たちに影響を及ぼし続けるだろう。それがどういう結果になるのかは、それこそ時代が進まなければ俺程度にはわからん。