ジャズと「個性」2


 勿論、自分で作りあげる音楽というのは不恰好で、バランスが悪く、聞き応えも無いだろう。トッププロの演奏と比べたら見る影も無いだろう。だが、もしそれを磨いて「客を振り向かせる」力にまで達せたとしたら、その時「不恰好な自己流」は恐ろしいほどのアドバンテージとして、貴方の血肉となっている。俺は「最短距離で最高の演奏方法を英才教育で学ぶ」のと「自己流で亀の如き遅さで上達していく」のとどっちが最終的に良いのか、ずうっと考え続けている。何の為に音楽をするのか。「上手い」と言ってもらいたいか。「良い」と言って貰いたいか。今世界で名声を欲しいままにしているビッグプレイヤー達は「上手くて良い」プレイヤーである。しかし、彼らの後ろをついていくだけでは「上手い」人にしかなれない。そして世の中の人達はほとんどが「上手い」を目指す道を目指していて、それしか向上する手段が無いと思いこんでることすら多々ある。
 「個性を磨くのは難しい」て言う人いるよね。ンな事は無いよ。ただ「既存技術を吸収する」方法とやり方が全く違うだけだ。自分が出した音に対して「格好良い」「格好悪い」を、それこそ「自分流に」えり分けていく。その作業を延々と繰り返すだけだ。ここで「何が良いのかなんてわかんないよ!」と言い出す人もいるが、そういう人はたぶん本能が麻痺しきってるよ。一度、裸の心を出さないと。麻痺してる人は、その「思い出す」工程すらも難しく感じるかも。
 もう一度書くが「個性を磨く」行為は恐ろしく遅く迂遠な道だ。だが、それさえ了承していれば難しい道ではないと思う。とりあえず人に賞賛されることをまず忘れよう。人は色んなものに縛られている。常識とか。「空気」とか。個性はまず非論理的で非倫理的なところからスタートしよう。友達減るけど。