ピアノ


 たまに、確かめるように書く。
 「あなたにとって、ピアノとは?」みたいな質問はチープな上にインチキな質問(ナルシズムに浸らせるためのもの)と思われているものだが、俺にとって、ピアノを弾く意味は確かにあるんじゃないかと思う。「人生…かな」みたいな素敵な達観はまだ出来ないんだけれども。
 というのも、今ひっさびさに親父と弾いて、その時に物凄い集中力が沸いて「ああ、この集中力は普段使い道の無い奴だ」と思ったのだ。俺は元々恐ろしい程の短気集中力を発揮する事が出来て、その代わりに視野が狭かったり虚脱状態に襲われたり、ぶっちゃけコツコツと作業をする事に苦痛を覚えたりする。それが俺を特殊なピアノ弾きにさせた原因であり、社会不適合者に至らせた原因でもある。
 仕事ってのはホントどこまでも続くマラソンのような感じで、一息つく事はあっても終わりなんて無い。俺みたいなキリギリスにはとても「向いてない」世界で、それゆえに俺は自分を「向いている」状態にまで適応させる必要があった。この一年はその適応との戦いだった。そして、その戦いは俺が働かなくても良い状態になるまで続く。そんな都合の良い時はあるのだろうか、と思いつつも、なお更俺は適応して、変わっていかなければならない。
 で、ピアノを弾いた。ピアノは本来の自分、つまり異常な短期集中力者である自分を思い出させてくれるガジェットだった。五感を研ぎ澄ませるだけ研ぎ澄まして、音とピアノの「感触」に全神経を集中して、より良くなるように弾く。ピアノを弾いている時は、その空間以外は何も要らない。普段重視しているシビアな対人コミュニケーションだとか次々と押し寄せてくるこんがらがったパズルのような仕事とかが、ここには無い。「生活」とは違う空間なのだ。それは今の俺にはどんなに贅沢な場所なんだろう、とかみ締める。
 最近自分のジャズを弾いている意味を随分と思い悩んでいたのだけれども、ひょっとしてそれは「意味」と「目的」を混同していたのかも知れない。ピアノを弾く意味は、楽になる為だったのだ。頑張って日常を生きている俺が社会不適合者に戻れる、貴重な時間だったのだ。そして、その時間はきっと俺をもっともっと良い者に押し上げてくれる事だろうとも思っている。