マスコミの意味


 二つあるなあと思った。一つは「情報を伝えるか伝えないかする」事。もう一つは「情報に意味を持たせる」事だ。
 一つ目の「情報を伝えるか伝えないかする」について。情報というのは伝える事にも伝えない事にも価値がある。例えばわかりやすい話だと、トヨタの不祥事ってのは結構あるしキナ臭い話もそこらかしこにある。しかし、それはお茶の間に広がらなければ「無い」のと一緒だ。逆に、地方の一裁判も全国の注目を集めることもある。それは「伝えてる」からだ。その「伝えるか伝えないか」の判断は全てマスコミ自身に委ねられている。
 もう一つの「情報に意味を持たせる」という事。「情報」というのは本来「何が何した」「何がどういう数値だった」という、非常に無味乾燥な代物だ。単純にテレビや新聞でその「情報」を目にしたところで、俺らはその意味が結構わからなかったり、その意味を類推するのが億劫だったりする。企業決算なんてまさにその最たる例だと思うが、ああいうのって訓練しないと見方がわからんのよ。んで、マスコミさんはそれに「この情報はこういう事なんですよ」と教えてくれる。非常に便利。山のようなバラバラの情報にキチンと意味とストーリーを与えてくれる。そういう意味では、マスコミってのは俺らの生活にまさに欠かせない存在だと言える。
 しかし、それも裏を返せば「この情報にどういうストーリーを作るかは我々の自由だ」という事にもなる。俺らは情報の意味をマスコミさんにお任せしていると同時に、俺らが「自分で情報の意味を考える」のを放棄している事にもなるのだ。それは即ちマスコミの「力」に繋がる。
 何故世論の大半をマスコミが自由に出来るのか。何故ならマスコミは発信する情報を好きに選べるし、その情報の「意味」まで好きに繋げる事が出来るのだ。そんな強権を持っている者が傲慢にならない訳が無い。だからこそこういう馬鹿げた発言まで出始めるわけよ。


 んでその二つの権限は文字通りマスコミの完全な独占で、それだからこそ世論を相当に操る事が出来たんだけど、昨今ネットというものが出てきたせいでかなりあやふやになってきてしまっている。それが最近のマスコミ叩きにも繋がるし、マスコミ自身の焦りにも繋がってるっちゅう話になるのだよねー。