さーてまたグダグダ喋るザンスよー


 それにしてもこの新橋のおっさんの酔い酒のようなグダグダ語りが普通に読まれているというのが未だに信じられん。俺としては「自分語り」という最大級の贅沢がふんだんに行なえるという事で有り難い事この上無いんだけどね。
 さてさて、そんな前口上はどうでもよいとして、今日の俺のぐつぐつした思いを聞いて下さい。あのね、ジャズってものを「文化」と捉えるか「即興作成ガイド」と捉えるかで随分違うと思うんだ。後者で考えてばかりいる俺は既存の「文化的技術」というのをあまり重視していない。「コードの流れ」からどれだけのものを引き出せるかとしか考えていない節がある。勿論、7年もやっててそれだけじゃ余りにもアナーキーなのでここ1,2年で結構頑張って覚えているのだが、はっきり言って全然なってない部類だと思う。何度も言うけど、タイム感が全然なってない。自分でもわかっているのだが、考えて弾いている時にどうしても音の並びにバラつきがおきてしまう。気持ちよく弾こうとする時に自分勝手なタイムで曲を考えてしまう。だいぶ矯正されてきても全然駄目。ホント駄目。
 そんな俺が常に思う事は何じゃろと言うと、ホントそれは単純な話で「2009年に出来る事は何だろう?」という事だ。別に奇抜な事に手を出す気は(自分にとっては)あまり無い。自分に出来る最善のものを求めているだけである。ただ、それでも思うのだ。即興というのは自分の中身を出していく事だ。それは単にパーソナルな人格を出すだけでは無い、その裏にある「現代の風俗、文化」が出ていくという事では無いだろうか。どんなにアバンギャルドぶっていても。人間は生きる時代からは逃れられない。音楽も時代からは逃れられない。
 今、ピアノで即興を弾く意味はどこにあるだろうか。今、即興ピアノを弾いて何が生まれるだろうか。
 そんな事ばかり考えている。とりあえず明日DS-10が届くはずなのでそれと遊びまくったりラップ遊びをしまくったり現代を生きまくったりしてみようと思う。この前矢代さんが「テネシーワルツいいですね!」て言ってたけど、あれは俺が2003年に作った曲だ。あの曲には「俺の周りの2003年」が詰まっている。「2009年の音楽」は何が生まれるだろうか。真摯に向かえば向かうほど音楽は面白くなると思う。内面と外面(社会の世相)がダイレクトに反映してくる。