レッスン覚書


 生徒さんにレッスンを施すようになって、早1ヶ月。最初は「ソロって何?」「コードの見方がわかりません」という体たらくだったAさんは今ではビックリするくらい成長した(と思う)。何よりも、認識が変化した。音楽に対して主体的に取り組めるようになってきた。聞いてみれば、今ピアノを弾くのが楽しくて仕方ないらしい。教えて良かった、と心から思った。
 何というか、俺は生徒さんに「単にジャズが上手い人」になって欲しくなかった。前にレッスンをした時はそれのみを目的としていたが、今度の生徒さんにはもう少し可能性を感じたのだ。生徒さんは非常に従順で真面目だが、別の側面として「素直に内面世界に浸る」という特徴を持っていた。俺は生徒さんにアイマスクをかけて、1時間くらい放ってみた。視覚をカットする事で聴覚を鋭敏にしようと試みたのだ。Aさんは恐ろしく早く見えない世界に「馴染み」、まるで初めて触ったかのようにピアノの音を楽しんでいた。多分、俺が止めなければもっとずっと音と触れ合っていただろう。これは才能だと思った。最も、才能というのは誰にでもあるものかも知れないが。
 レッスンというのは非常に有機的な行動だ。教える側にもどういう風に転んでいくのか全くわからない。講師は鏡となって、生徒さんの「欠けている所」を映し出し、そこを埋める手段を講じる。又は逆に「出っ張った部分」を伸ばす方法を試みる。それの繰り返しだ。言いかえるならば、どのように成長していくかは実は生徒さん自身が決める事でもある。
 余談だけど例えばジャズ研のてるお君だったらひたすら反復させるだろうね。あきお君だったらもう少し広い表現が「自分に出来るんだ」という自覚を植えつけさせる。エレ木君だったら好き勝手暴れさせる(笑)けんじ君だったら俺が何か言う必要も無い。一緒に弾けば弾くほど学習するだろう。その場合俺が手に入れて欲しいものとは何だろう?より広い「表現」を知ってもらう事。そして表現を知る事によって、音に深く関われるようになる事だ。
 俺が知ってもらいたいのは「知識」じゃない。「世界」だ。
 今回のレッスンは非常に順調でワクワクさせるものとなっている。未完成な人間が化けていくのを見るのが好きだ。人間は皆が未完成なのだから、皆が化ける可能性があると思う。何と素晴らしいことか。