表現とは


 排泄に近い、と思える人はたぶん友達になれる。何ちゅうか、表現する為の道具があって自分が良いものを作れるっていう「根拠ない自信」があれば、誰にでも出来るものなのだよ。楽しいしね。それに自己顕示欲だとか社会の尺度とか文化的タコツボなんて考えたりするからややこしくなる。他人との比較とか。
 まあ、「楽しいなー」て顔をするのと「楽しいなー」て言葉を声に出すのと「楽しいなー」という音楽を作るってのは似ているようで、異なる。「似ている」てのがポイントだが「異なる」はある。表情を作る方が簡単だし音楽を作るのは面倒臭い。面倒臭くなれば自分の本来の衝動からは「遠く」なっていく。その「差」をどう埋めるか。
 または「伝達」という視点で考えてみる。感情を伝えたい。または、人の心を動かしたい。これも、原始的な行動から遠くなればなるほど抽象的で難解なものになっていく。言葉で「貴方と一緒にいて楽しい」と言って伝えるのは簡単だが、トロンボーンを使って「音楽」で「貴方と一緒にいて楽しい」と伝えるのは大変だ。
 俺は運良く子供の頃からピアノを習っていたしジャズも8年目になるので、他の人と比べて「心」と「ピアノ」の距離がだいぶ狭まってるとは思う。「慣れる」。やっぱこれなのかな。自分の好きなように道具を使って表現するには、「慣れる」のが一番なのかも知れない。