クラシックを弾く


 クラシックというのはジャズや即興とは違って「何の音を出していい」かは完璧に決まっているので、その既に出来ている枠組を如何に完成度を上げて弾くか、という事に重点が置かれる。しかし実際には「完成度」という言葉を使うのもおこがましい程に深い道であり、そもそも100%の演奏というのはあり得ない。作曲者が夢に描いた空想を、演奏者が「人生を資源として」如何に精度を上げて再現するか、という世界である。
 んで、それは門外漢の俺には「現在どれだけピアノを弾けるか」という格好の試金石となるわけだ。親父のバイオリンに合わせて弾いて見る。すると、自分の実力というのはこんなもんかというのがわかる。俺のピアノの「到達度」は、恐らくスタートラインをやっと脱出した程度だろう。
 ああ、これはこれで「道」なんだなあ。
 即興に関しては6年やって未だに「道」すら見えていない状況である。自分はとにかく頑固者で、現在はクラシックにしろジャズにしろ即興にしろ師匠を持っておらず、一つ一つ自分で手探りで前ににじり寄っている状況だ。それゆえ他の人から見たら亀のような前進かも知れないが、それはそれでいいような気がする。「道」てのは遠大なもんなのだ。