律する必要性



どうも人間というのはありとあらゆる事に適応しようと試みる生物であって、それは苦痛とか修練だけじゃなく、快楽とか怠惰とか欲望とか堕落にも当てはまる気がする。俺は昨日自分の体が堕落に適応しようとしているのに気付いて戦慄した。確かに快い事は続けて起こっているが、駄目だ。発想から行動まで、何から何まで自分が変質しかけている。
律しなければ。孤独になり、自分を鍛える行為は決して自己満足なだけではなく、「悪い」変化から自分を守る唯一の手段でもある。俺はこういう事に関してはどこまでも真面目でいようと思っている。どんなに今が快楽に溢れてたり不遇の状況であっても、最後の一線だけは守って頑張りたいのだ。