筋肉バカブログ
一億円プロジェクトでのノリアキの後輩、という位置付けの人。最初はただのイケメンだったのにどんどんとおかしな方向に走ってしまった様子。
少しでも多く筋肉に刺激を与えていないと 正直不安で仕方ありません。
ああ、可哀想な人になっている。
反発する、ということ
最近某A君のブログを見ると面白くて面白くて、しかもその面白さは「自分と意見が合わない」の一点に尽きる所が実にアレである。同じジャズをやっていて、同じように穏やかな人間で、でも決定的に違う。そういう人に対してどのように俺は接していくべきか。ここで重要なのはそれが人物否定には現在至っていないということにある。最近はそういった「合わない」人とは上手く折り合っている気がする。大切なものを奪い合う関係に無いからだろうか。(んで、そういう合わない人と心が通った瞬間はやけに嬉しいのな。これも不思議だ)
性格が同じ方向で無い、という事と喧嘩をしたりいがみ合う、というのは必ずしもイコールで結びつかないんだなあ、なんて思ったりもする。
そしてそういう人はぶっちゃけ(そのままの意味で)自分に彩りを与えてくれる。自分と違う意見を持つ。それに対して感情的な反発が生まれる。何故それが生まれるか思索する。ここで反発を表に出すのではなく、中でぐるぐる回すのだ。そうすると新しい考え、新しい発見が生まれてくれる。そういう意味でA君のブログは非常に面白いし有益である。毎回俺にヒントをくれるのだ。「比較」というものさしを与えてくれるA君は俺にとって有り難い存在だ。
もちろん、これはある一定の余裕と対等さが無ければ出来ない視点だ。一定のイニシアチブを絶えず確保しなければいけないような状況だと、合わない人との関係は冷戦にならざるを得ない。そうでなければ喰われてしまうだけである。(俺は妥協マンだからよく喰われる)それでも、それが適う状況ならば感情的な反発が即人間の評価に繋がるような短絡さを持たないようにいたいものである。利害関係の無い状況での合わない人間というのは彩りをくれるものだと思う。仮に消化に経る余裕が無いのならそれは放っておけば良いだけの話なのだ。
で。
↓の思索から具体的に何を発見したのかと言うと、やはりそれは音楽的なものであった。それも、俺の基本的な姿勢だ。
某A君の姿勢は基本的に「理想や範とすべきものが先にあって、それを目指していく」という代物で、たぶん多くのミュージシャンも似たような事を考えてる(と思う)のだが、俺は実はまるっきり逆で、「今そこにあるものから奥を追求していく」というスタイルだった。なので、俺に範となるものはほとんど存在しない。影響を受けた人、基礎となった技術は勿論あるのだが、それはあくまでも現在から次に進むための材料に過ぎないのだ。だから、方向性は安定していない。だから、完璧なスタイルを求めない。そもそも自分のゴールに「完璧(100点)」というものは存在しないと「感覚で」考えている。ただ俺は「新しいものを掘り出して」、「今まで掘り出したものを『聞ける』形にもそもそとまとめる」その作業を繰り返すだけである。音楽は常に汗水たらして必死に弾くものだと考えている。
ジャズは社会的なグループワークであると同時にエゴイスティックな芸術行為でもあって、その二つのパーセンテージは人によって違う。たぶん、俺は後者が90%くらいの変態なのだ。そんな訳でジャズの人とは基本的に話が合わないし、別に心を閉ざしてるわけじゃないのに友達が一向に増えない。チックショー
渋滞、車多いと自然発生 阪大などのチームが実証
http://koerarenaikabe.livedoor.biz/archives/51143769.html
これが「何を当たり前な事を」と捉えるか「実は凄い実証」と捉えるかはまあスレ見て後は個人判断なんだけど、俺はちょっと別の事を連想していた。TOCに影響しないか?これ。
制約条件に着目した業績改善手法、TOCとは?