真鶴いってきた


 真鶴は良かった。何が良かったて「何もなかった」。そこにあるのはただ山と海と点在する家と船だった。俺は特に何をするでもなく、ひたすら歩いたり海をボケーっと眺めてたりしていた。案外俺は海が好きなのかもしれない。というのも、振り返って見ると海辺からは「日本列島が見える」。限りなく続く平坦な道路では無くて、島の輪郭が見えるのはいつ見ても面白い。
 今回は初めての一人旅だったのだが、何か意外な出会いがあったりしてビックリした。余りにも食う所が閉まり過ぎていてやっとの事で入った小料理屋で温厚そうなおっちゃんと意気投合して色々と話を聞いた。役場の課長さんらしい。ただの観光地だった真鶴に「内部からのストーリー」をこれでもかと聞かされ、話が終わる頃には(11時過ぎ)俺の中で真鶴はすっかり立体的な、生きた土地になっていた。偶然にもその人の出身校が俺の職場だったのだ。また来る事もあると言う。すんません来月から俺は居ません。もらった名刺は店に忘れてきてしまった。
 真鶴魚は非常ーに美味かったのだが何故か店を選ぶのが夜も昼も難儀した。
 二日目は海を見ていた。とにかく海を見ていた。遊覧船ではカモメのくちばしが指に刺さるという面白すぎる体験をしつつもとにかく俺は海とか列島をずうっと見ていた。何か考える所があったり、はたまた無意味に見ていたり、見ているのかもよくわからないくらい頭をからっぽにしていたり、でも俺はただ海を見ていた。真鶴から出ても小田原行ってやっぱり海を見ていた。俺がしたいのは観光じゃなかった。観光は一日目で既に用が足りてると思った。
 何というか空っぽになりたかった。日々の「刺激」は俺の色々なものを疲労させていたと思う。天井も壁も無い、日本列島ですら無いだだっ広過ぎる空と海を見ながら、俺は久々の開放感に浸っていた。わずかな刺激がほしかった時は飛んでるカモメだとか、遠くからだとのんびり進んでるようにしか見えない船だとか、はたまた愛し合ってる高校生のカップルとかを見ていた。そんなもんで充分だ。あそこは俺の知らない土地で、知らない人たちが知らない文化で生活している。そして、それを超えた「土地」というか「環境」があった。俺にはそれで充分過ぎて、それ以上を求めるのは野暮のように思えた。他人の価値観が全く入らない所で旅をすると俺は恐らくそんな風になるんだろう。馬鹿でかかったり、馬鹿っぴろかったりするのが好きだ。空と海と土地は、多分俺が知っている中で一番大きい。
 普段狭すぎる所で俺は無意味に(本当に無意味に)神経をすり減らしながら生きていて、旅はそれを解放してくれる役割を担ってくれた。何か、良かったね。今回の旅は意義があった。