むつかしい話:イジメ問題


 今日帰りの電車で物凄い奇妙なガキんちょがいた。顔つきはオール電化のガキのような感じで、身体に筋肉無いんかというくらい絶えずクネクネとして、何か痒いのか激しくエンドレスに鼻をほじっていた。もう典型的な発達障害という感じで「ああ俺も子供の頃はこんな感じだったっけな」と思ったりした。俺はその時小説版の金田一少年を読んでいたのだが、異常なまでに顔を近づけて表紙を凝視していた。絶えず鼻ほじりながら。著しくウザかった。
 そして俺は思った。「こいつ俺が子供の頃クラスにいたら確実にイジメられとるな」と。それは本当に素朴な感想だった。イジメ自体は「禁忌」として扱うべきなのにもかかわらず「当然起こりうるだろうな」と推測する俺。とても奇妙に感じた。何故そう思ったのかと言うとそいつがウザかったからだ。
 イジメ、カッコ悪い。イジメられる側に原因があろうがなかろうがイジメる側が確実に悪い。悲劇も起こる。だが、なら何故イジメは起こるのだろうか?そこに、誘引する何かが、イジメられる側にあるのでは無いだろうか?イジメる側から見た、主観的な何かが。それは今日見たガキんちょのように極端な形で現れるものもあれば、とても微妙ーーなラインで顕在するものもあるだろう。そしてそれは人の間に何かしらの差異がある限り、必ず起こるものだと思った。ちょっとした能力の差、快不快の揺らぎでイジメは「発現してしまう」。
 ちょうど昨日宝塚のイジメの話を読んでたトコだったので色々と考えてしまったが、結局の所イジメ問題の最大の対策は「イジメは罪であり、罰が起こる」という事の徹底的な周知では無いだろうか。具体的に言うと、イジメた奴は問答無用でブン殴れば良いと思う。思い切り怒鳴れば良いと思う。自然に起こる差別感情を未然に、もしくは事後に止めるには、その自然さを打ち消すくらいの強烈な強制力が必要なのではないか。
 さて俺は上記のガキに近い感じの発達障害児だったので、学校のポジションはもうイジメられる/られない、の非常ーに微妙なライン上にいた。正直言うとイジメた事もイジメられた事もある。子供って素直だから邪悪な時はとことん邪悪になってしまう。それを止めるのは大人の役割だと思う。