必要条件と十分条件


 先週の追いコンでの演奏をまたしつこく考える。
 「上手い事は素敵な事にならない」というのが俺の感覚だ。後輩や他大の方々は俺の想像以上に高い技術を誇っていて、その事自体に感嘆する。が、その日俺が「いいね!」と思う事はやはり無かった。それは俺自身の演奏にも思った。二曲弾いたが、結構クソだと思っている。
 ジャズを「キチンと弾ける」事はジャズを聞かせる必要条件だ。だが、それで終わる事では無い。「ジャズの偉人達の難解な音楽をこんな完璧に再現しました!」という事に特に魅力は無いと思う。特にこれ程までに録音再生技術が発達した現代に於いては。
 「現代にジャズを弾く」事の意味を考える。ジャズ(特にハードバップ)は1950〜1970頃までにアメリカで大流行した音楽だ。対して、我々は2010年に生きる日本人である。土壌がまるで違う。価値観だって、当然全く違う。この事を突き詰めてるジャズ人というのはあまり見た事が無い。ジャズは過去の音楽だけど、俺らがジャズを弾くなら当然現代の音楽になる。ならば、その現代に過去の名演、スタイルを再現をするだけに終わる意味は無いのでは無いか?
 別にサンプラーとかエフェクターを使えば良いという事では無く。大まかに「ジャズ」である事を否定する事では無く。でも、現代の感覚で「取捨選択をする」必要はあると思う。現代というのは、その人が生きてきた歴史や環境で作られているものだ。例えジャズの枠組みを使用したとしても、全く別物になるはずである。


 まあ、グダグダ書いたけど要するに「俺」がかっこいいと思える演奏をするにはどうしたら良いかって事ですなー