「ボンクラ」という言葉があるが、これは漢字に宛てると「盆暗」と書くらしい。昔賭場で丁半博打が存在していたころ、盆上での勝負に疎い人の事を差していたようだ。
 対して、勝負に強い人の事を「盆に明るい」と言った。非常に冴えて集中力がきいてる人は盆(賭場のサイコロを転がす畳)全体が明るく見えたという。
 自分の目から見える情報、更にその背景全てが頭に入っている時、非常に景色というのはクリアに見えるものだ。一点に集中するのではなく、自分の周りのフィールド全てを自分の影響下における程の集中力を発揮する事を「方中」と言う。と書くと何だか大袈裟に難しいように思えるが、車に慣れた人の運転もこのレベルの集中力を発揮しているものだ。運転に慣れてない人は5メートル先くらいしか見えていない。ベテランの視界は遥か遠くまで広がり、だからこそ事故に繋がるちょっとのサインにも的確に反応が出来るのだ。


 さて、俺がやってる音楽においての「方中」または盆の明るくなる状況とはどのような感じだろう。例えば、慣れてない場所で慣れてない曲をテンパって弾く時、非常に近視眼的な事しか出来ない。2秒後に音楽がどう変わるかも見えず、ただアワアワと目の前の音に必死に反応するのみだ。対して方中が起こっている時はどうかというと、音の「広がり」までもが見える気がする。アドリブも目の前のコードに合わせた音ではなく、バンド全体を見据えた上、1コーラス2コーラスまで先を勘定に入れた「メロディ」が出せるようになる。その場合、どんなにコードを無視していようが、トリッキーな即興をしていようが、音楽は必ず「美しい」ものとなる。全てが勘定に入った結果の調和となるのだ。
 俺はその瞬間が大好きで音楽をやっているのかも知れない。3月に即興やった時そんな感じだったんだよね。何というか、会場全体が己の意識化に入ったような。