レッスン覚書


 昨日のレッスンも大変でしたー。しかし人の成長を促すのは本当に楽しいものである。というか、集中的に数時間も指導して、家でもちゃんと練習出来る環境にある人間が上達しないわけが無いんだよね。改めて思う。ジャズが上手くなるのに必要なのは才能ではない。適切な環境だ。「気付き」を内部ないし外部で発見できて、それを実践するような環境にあるのが一番重要なのだ。
 母校のジャズ研を見てて一番欠けてるのがそれね。アドリブの上手くなるやり方が誰にもわかっていない。わかりそうな人*1に聞いても難しそうな理論の話か、とにかくコピーしろか、さもなくば「パッションだよ!」としか返ってこない。思いきり本音を言うと母校ジャズ研でちゃんとアドリブが出来る人は恐らく一人もいません。それは逆に言えば現状で全員が伸びしろがたっぷり残っているという事でもあるね。


 さて我が愛弟子はレッスンを初めてから2ヶ月半。その弟子は最近の練習で毎回頭から煙を吹かせている。「考えてソロを弾く事」「初心者病から脱出する事」を徹底的に取り組むのはやはり大変な事だ。
 昨日、ちょっと特殊なやり方でレッスンした。まず、俺がピアノを弾くのを横で生徒さんが五線紙を持って聞いている。弾き終わったら俺は後ろに引っ込んで生徒さんに自分のソロをうんうん悩んで発展させる。んで生徒さんは好きなタイミングで「もう一回弾いてください」または「ここがわからないんですけど…」と意見を出させる。五線紙を持たせるのは俺の演奏から、わずかでもフレーズを抽出するためだ。最初は「耳コピ」という言葉に拒絶反応を抱いていた生徒さんも、少しずつ慣れていって、積極的に俺のプレイを抽出するようになった。(頭から煙吹きながら)
 要するに俺のプレイの部分コピーだ。しかしそのコピーの部分を選ぶのは、あくまでも生徒さんの自発的意思である。なので、後で生徒さんの演奏を聞いてみると「お!ここを選ぶか!」と驚くところが結構ある。理論的に高度な(つーか俺オリジナルの)スケールだったり、複雑なシンコペーションだったり、格好良いんだけど口頭で言うのは難しいフレーズだったりを弾いている様を見ると感嘆せずにはいられない。だって2ヶ月前までは「コードってどうやって見るんですか」レベルだった子が目の前でディミニッシュスケールを弾いているんだよ。いやー、先生冥利に尽きますわ。


 俺がレッスンでやっている事というのは基本的には生徒さんの「認知の枠」の破壊である。生徒さんの発想に「無いもの」を与えていくのだ。時には放っておくのも重要だ。「気付き」というのは外から与えられるだけでは無い。自らの内側からも沸いて出てくる。常に自らのアドリブを改革する手助けをするのが、俺の役割。俺は素人の癖に金を取って教えているが、金を取ると「責任」が生まれてくる。「絶対」に上手くするという意思が発生してくる。そこから得るものは実に大きい。

*1:母校の場合は先輩やOB、外部の人