Love For Sale


 を引き続き検討中。やはり慣れてないキーやスケールを開発していくのは容易ではない。Db、Ebm、Edim、B7辺りがキツイので要するにBパート全部が全然出来ていない。俺は「全キーに移調してのフレーズ練習」というものをやらないので、こういう「慣れないキー」は少しずつ開発していくしかない。「感じ」を掴むのに一苦労だ。毎日やってても数ヶ月かかる場合だってある。
 結局のところ、ジャズというのは恐ろしく地道な「探求」の作業が必要な音楽だと思うのだ。正解というものは、もちろん既にどこかに用意されているだろう。その「既にある正解」を使わない道というのは面倒臭くて遠回りも甚だしい。同じ時期にやっていたエリート君(正規の教育を受けているという意味において)はぐんぐんと追い抜いて上手くなる事だろう。まるで兎と亀のようだが、御伽噺と違ってゴールが「どこにあるか」は全くわからない。兎が軽々と通り過ぎてしまう地点がゴールかも知れない。それなら亀はただの徒労で終わるという事になる。


 だが、それでも「自分の道」というのは持っていいんでは無いだろうか。正規の道を通って皆と文化を共有するのがジャズマンだとするならば、俺は別にジャズマンでは無くて良い。コピーはしていて良い。伝統音楽をやるならそれで良い。でも「自分の生きてる時代が最先端だ」という感覚だけは持っていたい。未熟だろうが無知だろうが、今自分達が生きてるよりも先の時代というのは、「今この時点では」存在していないのだ。