反フレーズ、ツーファイブ主義


 スタンダード本でやる曲が減ってきたので、ここは初心に帰ってEbブルースを課題にする事にした。これが意外とできない。Ebの曲なんて山ほどやってるし、さすがに克服したかと思ったが「ブルース」という範囲内で素敵な演奏をする事が出来ない。これは面白い発見だった。
 世の中には「ツーファイブ」信者というのがいて、「ツーファイブを全キーで沢山覚えておけばオッケー」という短絡的な見方をするジャズ人が数多くいるが(これはフレーズ主義の人も同様)俺はそれに対してはかなり懐疑的だ。Ebなんて1度4度2-5-1で終わる単純な構成で、2-5と1-1さえ出来ていれば理屈では簡単に弾けるはずなのだが、それが上手くいかない。小節数、テンポ、必要とされる音色、コード進行のタイミング、更に言えばテーマのメロディでさえアドリブには細やかに影響する。セッションになったら尚更だ。ドラム、ベースがどのような動きをするかで更に変わってしまう。*1「これさえやっておけば大丈夫」という考えは、音楽を「狭い」枠にはめてしまう偏見なのでは無いかと思う。
 フレーズも全キーでさらって「暗記する」事に意味はあるのだろうか。俺は以前何度か様々なフレーズを「全キーでやろう!」と意気込んで試した事があるが、どれも定着はしなかった。先人のフレーズは「こんな使い方があるのか!」と「気付き」を得る程度のもので、それ以上の「万能」なものでは無いと思うのだ。キーを変える事が「何となく」では無く「明確な違い」だと考えたい。各キーには各キーの個性があると信じたい。そう考えるからこそ一つ一つのキーに色が見えたり、それぞれの役割が見えてくるんじゃないかと思ったりする。音楽とは、究極に進めると「風景」になるものだと俺は考えているのだが、それはまた別のお話。

*1:たまに行くインディゴのセッションで俺は毎回ボコボコにされている。それが簡単な曲だったとしても。