パーカーとコルトレーン

 Charlie Parker - "Confirmation"

 John Coltrane - "Giant Steps"

 何となく「後輩のサックスプレイヤーに聞かせたい曲って何かなあ」て考えて、自然とこの二曲が浮かんできた。


 実際のところ、今のジャズ研生で真面目にパーカーを聞いている人はどれくらいいるだろう。わざわざ「原点」なんて聞かなくたって、素晴らしい参考にしたいプレイヤーなんて山ほどいるからね。でも、パーカーは一回はちゃんと聞いた方がよい。同じようにコルトレーンの「ジャイステ」も聞いた方がよい。この二曲は余計なものが入っていない、純度の高い「理論ジャズ」なのだ。こういうものは「そういう観点から」アドリブを追求しなければ、絶対に手に入れる事が出来ない。


 まあ、言ってみればジャズをややこしいものにした戦犯がこいつらだ。元々ゆったりとした明るいダンス音楽(サッチモをイメージして欲しい)を馬鹿みたいに高速化させ、しかもそのアドリブを和声学的なボキボキした音で吹きまくったのがチャーリーパーカーという男である。そのスリリングな「曲芸」にアメリカの野郎共は夢中になり、そして彼を中心とした一大ムーブメントが巻き起こった。これが「ビ・バップ」である。


 その頃ビバップに参加したミュージシャンのほぼ全員(非サックスを含め)がパーカーのコピー、つまり物真似をしたとも言われる。その時からジャズのアドリブは「単なる心地よい鼻歌」から「妙に理論化されたメカニカルな音」に変貌してしまったのだ。


 で、その「メカニカル」を行く所まで行かせちゃったのがジョンコルトレーンという男。彼はアドリブ中に「音を可能な限り高速で詰めこめる」という荒業を得意とする男だった。これを「シーツ・オブ・サウンド」と言う。「音の絨毯爆撃」ですな。そんなコルトレーンもまた「メカニカルな音」に執着していた。彼はアドリブの独特さだけではなく、パーカー的な「ビバップ」を更に理論的に先鋭化させようとした。


 そしてその末に出来た曲が「GiantSteps」である。この曲はEb、G、Bという三つのキーのツーファイブを高速でクルクルと回転させている構造を取っている。聞いてくれればわかると思うが、「人の温かみ」が全く無い、鉄筋コンクリートのような曲だ。この曲をコルトレーンはテンポ240という超高速で吹きまくる。コルトレーンはこの曲をアドリブするに当たって、余計な雑音(テンション)を一切使わなかった。そういうものを入れた瞬間に曲が台無しになる事を、作ってる段階で気付いたのだろう。


 俺が思うに、パーカーとコルトレーンは「ノリノリの馬鹿」だったんでは無いだろうか。パーカーの前はゆったりとしたラウンジジャズが中心だった。コルトレーンが生きた時代はマイルスが提唱した柔らかなハードバップだった。そのような穏やかでオシャレな音楽が中心にある中、この二人は「俺はもっと凄い事出来るぜ!」的に突っ走ってしまった。そこに俺は現代のニコニコ職人に通じる「やり過ぎ感」を感じて微笑ましくなってしまうのである。豪快さんだったパーカーはその後、麻薬に蝕まれてあっさりと衰弱死してしまう。真面目な暴走機関車だったコルトレーンは多くの先鋭的な科学者がそうであるように、後年オカルトに走っていった。彼らは加減を知らなかったのであっさり自滅してしまった。しかし、加減を知らないからこそ、天才になれたのでは無いかと思う。 


 「後輩を啓蒙する」という本筋をすっかり忘れてジャズの歴史を語りまくってしまったが、まあホント、この二人は一回はちゃんと研究した方が良いです。音楽に「数学」を取り入れた彼らの演奏は、現代でも確実に新しいインスピレーションを加えてくれるだろうと思う。