↓のに関連して


 ここで一つ去年の練習の秘密を明かしておくと、俺は元々ソロに対して自分のオリジナリティのみを求めていったところがあった。他のメンバーとはどこか一線を画そう、どこか逸脱しよう、と試みて、結局最後に行きつくのは曲の意図的な崩壊ばかりだったように思う。それはそれで間違ってはいないのだろうけど、一人でベースラインに合わせてひたすら弾くのにはやはりワンパターンというか、先が続かないような気がした。俺が去年の段階で目指したのは「曲に合ったソロ」だった。その曲でしか表現できない何かをコードの組み合わせから求めようとした。
 ちなみに余談だが、フレーズ練習を否定している事ばかり最近言っているが、初心者や何を弾いていいか全くわからないような人はむしろフレーズ練習をするべきだと思う。アドリブという何も見えない荒野を渡りぬくには「指針」がいる。思考のフレームを最初に叩きこんでいると、その後の工夫も0→1ではなく1→100となってやりやすいのだ。
 さて話は戻る。「曲に合ったソロ」を弾くのに、パッチワークのように2−5や1−1のフレーズをはめ込むやり方は適していない、と俺は考えた。やはり音を出す必然性が無い。しかし、0から格好良いソロを生み出すのはその時の俺の能力では無理であった。どうしようか。考えた結果「考えなくてもよいソロ」すなわち非常に簡素で工夫の無い、しかし流れだけは自然なメロディを奏でようとしたのだった。
 これは俺にとってむしろ新鮮な試みだった。当たり前の事を弾く。それで流れがわかったら少しだけ工夫を重ねていく。それまでは無視しがちであった「テーマ」もよく弾くようになった。
 ジャズは「元の曲あってのリミックス音楽なんだ」と考えるようになった。


 まあ本当に当たり前で基本的な行為だったのかも知れないけど、前衛にかぶれてた俺はその当たり前というのが見えなくなっていたらしい。新しい事、強烈な事ばかり求めていた。今、少しだけ、ほんの少しだけ俺のジャズはまともになったと思う。