亀田謝罪会見について


 今回この騒動を見てて思うのは「流れの趨勢」「勝ち馬に乗るもの」というイメージ。かつては亀田一家に乗っかることが勝ち馬だった。だからどんなに怪しげな経歴と実力、そして粗暴な態度でも一切目をつぶってきた。ファン層は勿論そんな事を考えもせず、単に「強いボクサー」亀田3兄弟を支持してきたのだろうが、正直言って少しでもボクシングを「知って」いる人間にはアレがフロックな事くらいすぐわかる。だから常にネットでは叩かれていた。
 現在亀田一家は無茶無茶叩かれている。今日は半分イジメみたいな会見だったように思えたので気の毒に思ってテレビをすぐ消した。しかし、このようなイジメが発生するのはむしろ当たり前の流れなのだ。それは亀田が悪かったとかそういう話ではなく「流れ」という意味においてだ。亀田一家は基本的に勢いに任せて無茶を押しとおしてきた。その裏ではそれに反感を持った人間が増え続け、その恨みを持っていた人達は虎視眈々と亀田一家がすっ転ぶのを待ち続けた。そして去年のランダエタ戦。トドメとなった内藤大毅戦。ここで状況は一変し、亀田が負け馬となり叩く者が勝ち馬になる。そして本日のイジメが発生するのだ。イジメてる人間は元々反感を持っていた人間。そして、その反感に「乗っかって」いる人達だ。
 今、亀田一家はこの「勢いのある人達」に消費されている状況である。
 消費されきった瞬間、亀田一家の価値観もまた消え去り、「あの人は今」の芸能人の如く忘れ去られていくことだろう。メディア世界というのはそういうものだ。流れが数十倍の如く凝縮されているからこそ、一般人には考えられない程豪華な生活を送る事が出来るし、また、消えるときは一瞬なのである。それに対して俺は是非を問うことが出来ない。
 ただ、メディア世界は仮想世界なのだ。それにいちいち引きずられてはいけないと思う。