ブルドッグとスティールのアレから



 「会社とは誰のものか」「株主の権利とは何か」「公平とか自由とかはどこまで許されるのか」などをツラツラと考えてみたが、まだ結論はつかない。資本家、経営者、労働者、消費者、社会、それぞれにそれぞれの理屈と利権があって、完全に公平にするのはとても難しい。
 ただ、一つ言える事があると思った。完全なグローバルスタンダードなんて、有り得ない。企業にとってのグローバルスタンダードはあっても、個人にとってのグローバルスタンダードなんて絵空事であり、机上の空論以外の何物でもないと思う。人は、土地の呪縛から抜け出ることなんて出来やしない。会社をなかなか辞められないのは、会社で苦しむよりも辞める方がリスクが高いからだ。人が簡単に土地を移れないのは、移る事自体が莫大なコストがかかるからだ。人は、簡単に動けない。だから企業組織が上ッツラで金やら制度やらをコロコロ動かしていても大多数の人間はそれに巻き込まれるだけなのだ。簡単に抵抗できるならば、もう少し世の中は良い世の中になっている。税制がえげつなくなって、生活にマジで支障が出るようになっても移民を選択する日本人はほとんど居ないだろう。
 同じように、いくらグローバルスタンダードを外資が掲げていたとしても、移動コストと変化のリスクが莫大である限り、簡単に「現地人」が「自由と公平」を選択する訳にはいかない。土着の文化もある。グローバルスタンダードというのは、上ッツラを変動させるという事だ。当然、その下にいる「動けない」人達はそれに巻き込まれる事しか出来ない。


 生き残る手段を考えなければいけない。俺自身もそうだし、地域としてもそうだ。グローバルスタンダードは否応無く俺らを巻き込んでしまう。土着文化など吹き飛んでしまう大いなる風が、徐々に強く吹き荒れてくる。日本にそれを防ぐバイアスは作れるのだろうか。自らそれを取っ払ってしまうのだろうか。何をどうすれば生き残る手段となるのか、考えなければならない。