生き方の問題として。



今日とある所の現場で働いてて、んでちょっとある人(仮にAさんとする)が大ポカをしてしまって、その人が派遣を打ち切られることとなった。まあそれは仕方のない話。責任はとらなきゃいけない時がある。問題はその後で、そのAさんというのはちょっと色々と社会生活が苦手そうな人で、例えばカツゼツが悪い、時間感覚がルーズ、空気を若干読まないなどの行動があって、少しチームの迷惑をかけていた。たぶん、接客業に向いてない人なんだろう。


で。


その大ポカが発生した直後にチームの他のメンバーがAさんに対する不満を一気にぶちまけ始めたのだ。それは愚痴という形だが、それは集団が同時にやった結果、陰口となる。自然とチーム内においてAさんは「気まずい人」となってしまった。いや、わかるんだよ。一つのきっかけがあって愚痴が「許される」雰囲気になったら、潜在的な大した事の無いものまでが出てきちゃうってのは。だってそれは前から出したかったものだものな。Aさんは穏やかな良い人だけどちょっと迷惑をかけていた。そういうのは溜まっていった。


だけどさー。そういうのは一気に陰口として出すもんじゃないだろう。勿論排斥は「間違った方法」じゃないんだ。存続を危うくする成員がいたらチームから排斥するってのは、ある意味自然な方法だ。だから排斥自体は俺は別に否定しない。だけど、だけどさ。そこで鞭打つようにチームが集団でAさんを悪者にするのが俺にはオッケーに見えないんよ。潜在的な悪い所まで出す必要は無いように思うんだよ。それは言わんでいいだろう。Aさんはまずい潜在的要因があってまずい行動を起こした。でも、Aさん自身を否定する必要は無い。


美しくないんだよ。生き方の問題として、俺はそういうのがかなり嫌いだ。