結局



俺が大学辺りからの数年、いや高校で一人ぼっちになってからの10年余は思索の連続であり、それは全て「物事の原則を探る」という行為だったように思う。
原則というのは、見ただけでは全くわからない。人の外見からそれが粒子の集合体である事がわからないように。だから、とりあえず今わかる所をかき集めて少しずつ「その元となる法則」を探っていく。俺はずっと人間で苦労してきたから、人間の原則がわかりたいと思った。だから、とりあえず原則を探るのは人間関係に留まっていた。本を読みまくって、人と話しまくって、それで思った事をメモ帳にひたすら書きなぐっていた。
で、こうして10年余経って自らが見つけた法則というのは、何の事は無い、一度は誰かに聞いた事のあるような当たり前の代物ばかりだった。曰く、物事には色々な側面がある。曰く、人はみんな寂しがり屋だ。曰く、女の子は王子様を求めてる。そんな当たり前のものをかき集めただけの俺でも、他の人からは物凄い尊敬されたり感謝されたりする。世の中の人は、思った以上に物事を調べる気が無い。原則だけ知ってても応用問題は解けない。だけど、原則を知らないで応用問題を解くよりはリスクが少ない。それでも世の中の人は原則も知らない内から応用問題を解こうとする。恋愛って何なのか。社会って何なのか。経済って何なのか。会社って何なのか。みんな、わからない内からとりあえず取りかかってみて、その表面的な現象に一喜一憂する。
そうやって、世の中は動いてる。
最近(ここ一年くらい)俺はお金の事や会計の事を勉強し始めてるけど、日々目から鱗の連発である。知らん事が多すぎる。そして、俺は如何に今まで知らん事に無関心でいたのだろうか。世の中、わからん原則はまだまだ多すぎる。俺はこれからも自分が楽に動けるように、そこらへんを探っていきたいとも思っている。