別に何も無い日常



でも、たぶん違う事は沢山ある。人に特に言わなきゃいけない事が余り無いだけだ。
例えば、今日は兄の自転車を取りに、1時間以上かかる川沿いの道を歩き続けた。いつもやる気ままな道と違って、目的地の違う道のりはある意味義務的なものとも言える。途中で疲れたので小休止を数回いれた。道端の椅子やコンクリートのブロックに座って目をつぶり、1分間「脱力」する。脱力は最近覚えた休息法だ。とにかく力を抜けるだけ抜いて、呼吸(吸う・吐く)に専念する。最後の方は眠っているかのように、だらしなく唇が開いて唾が外に出そうになる。そうした一分間をくぐると、体が少し回復してくれる。
3回目の休息の時、ふと目を開けて見まわすとそこは田園地帯だった。
車の音はどこにも無く、ふわりと秋の虫が通り過ぎた。僕は「なんて贅沢なんだろう」と思った。金が無く、世間で言う娯楽手段を余り持たない僕だが、こういう小さな発見に一喜を続けているゆえ、別に不足は気にならない。
歩き続けているとそろそろ景色が自分の目に慣れてきたので、懐から本を出して、歩きながら読みふけった。僕は今まで何千冊と本・漫画を読んで、中には立ち読みや古本で済ませたいものも沢山あるのだが、たまに「定価で買わなきゃ」という本が現れる。その時読んでいた「ユダヤ人大富豪の教え」という本もそうだった。貪るように読んでいると、あっという間に足が数百メートル進む。
ふと対岸を見ると、高校の校庭が何だか騒いでいた。丁度体育祭の終盤だったようだ。こっちまで届く熱気、興奮を感じて僕は嬉しくなった。ああ、発見だ。他のところにいたら決してわからなかった、今日限定でそこにある「発見」。
そのまま僕は一日、「何一つ変わらない日常」を楽しんでいた。