「日本語特区」提案へ



http://mytown.asahi.com/tokyo/news02.asp?kiji=3309

同区は03年度から、「美しい日本語を世田谷の学校から」というスローガンを掲げ、



国語の授業数を増やすとか「表現」て授業を新設するとか、
そういう事は確かにいい事だとは思うのだが、日本語特区て何?
美しい日本語て何?発想のアナログさにクラクラする。


まさか若者の挨拶を「ごきげんよう」とかにさせるつもりなの
だろうか?それとも若者のあの訳わからん言葉を「あれは間違った
日本語です」と教え込むつもり?アホらしい。どんな環境に居ても
頭の良い奴はちゃんと頭の良い言語を喋るし、頭の悪い人間は
どんなにかしこまった言葉を話してもアホのままだ。学校の授業
如きで言語は矯正出来るものではない、と僕は思う。


僕も10代の人達の言葉は時々理解出来ない時があるが、あれは
あれでいいのだ。言語というのは生き物のように進化し続ける
訳で、若い人の喋りはその先端を担っている。若い人の言葉から
公用語になった言葉も沢山あるだろう。勿論、取るに足らない
言葉は流行の波と一緒に淘汰されていく。そんなものなのだ。
だから、問題無い。残るものは残っていき、消えるものは消えていくものだ。


まあ、その彼らの考える「美しい日本語」とはどういうもの
なのか、是非伺ってみたい気はするけどね。